「外国語とワークアウトのすすめ」 ~文武両道ブログ~

30代元大学/インター講師。平日は報道機関勤務。英日中通訳/翻訳のほか外国語教育を手掛ける副業家。ブログは外国語学習、筋トレ、資産形成などをテーマとしています。

緑のテーブルから垣間見るイギリス統治時代の面影 ~香港スヌーカークラブ~

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みなさん、こんにちは。

 

香港で翻訳通訳業や外国語教師をしているジェイです。

 

今日は日本でもおなじみのテーブル競技「ビリヤード」ではなくて、よく似た「スヌーカー」という競技についいてお伝えします。

 

今日は香港は国慶節つまり中国の建国記念日にあたり祝日でした。友人と身体を鍛えにジムへ向かったところ、祝日で休みだということがわかり、同じ建物の地下にある「スヌーカークラブ」へ行ってみました。

 

スヌーカーってなんかよく知らないけど、まぁ日本にもあるビリヤードと同じだろうと思って、テーブルを借りたところ、店員さんが出してきた玉に数字がふられていなかったのです!

 

玉に数字がなかったらどうやって遊ぶんだい!?

 

しかも、玉が一般的なビリヤードより一回り小さいし

 

テーブルもめっちゃ大きいのです!

 

すぐさまスマホで、「スヌーカールール」をキーワードにグーグル検索をかけ、

とりあえずやってみることにしました。

 

ウィキペディアによると:

“9世紀後半のインド駐留英軍将校の間でビリヤードは一般的な娯楽であったが、従前のゲームルールでは1対1の対戦形式であったため、より多くの人数で楽しめるよう、まず最初Poolと分類されるビリヤードが開発された。

現在有力な説では1875年、ネビル・フランシス・フィッツジェラルド・チェンバレン卿(当時は准大尉、後に大佐)が15個の赤球とそれぞれ一個ずつの黄・緑・ピンク・黒を用いるゲームを考案した。(茶と青は後に加えられた)このゲームこそスヌーカー発祥である。

 当時の英軍に於いてSnookerとは入隊一年目の士官候補生を指す俗語であり、このゲームの名称となった。

1885年ビリヤード英国チャンピオンのジョン・ロバーツがインドを訪れた際、チェンバレンからこのゲーム (Snooker) を紹介され、ロバーツは帰国後、英国内にそれを広めた。”

 

スヌーカーはビリヤードの遊び方の一つで、複数で遊べるように改良された遊び。

 

イギリス軍人によって発明されたが、発祥の地はイギリス領インドつまり植民地で生まれた競技。

 

それがのちにイギリスに逆輸入され、当時イギリス領であった香港にも伝わり普及した。

 

アメリカで生活していたころはバーにいけば必ずプール(ビリヤード)台

があったし、お金持ちのアメリカ人のうちにも必ずありましたね。

 

つまり、ビリヤード(プール)は日本がアメリカに統治された時代に伝わったものかもしれない。

 

そして、香港はイギリスに統治されていたから、英国式ルールが伝播したのではないかとふと頭の中に電球が点滅しました。

 

というように、祝日の地下競技場で「スヌーカー」競技を通して、歴史に想いを馳せたそんな一日でした。

 

ちなみに、遊んでみた結果は、ボールが小さいくせ、テーブルが大きくて、いわゆるビリヤードよりも難しかったです。

 

ぜひ機会があれば、香港の「スヌーカー」クラブで遊んでみてはいかがでしょうか?対戦相手が必要ならお付き合いいたします(笑)。